印象派と浮世絵の関係

西洋絵画の変革期において発生した印象派の画家の中で、浮世絵と縁のなかった作家は、探し出すのに苦労するほど、少ないです。浮世絵の彼らへの影響力は強く、これまで述べたように19世紀初頭、既に『シノワズリー』という中国美術・工芸の造形表現に影響を受けたオリエンタリズムが西欧社会に浸透してきていて、西欧の東洋に対する一種の美学が人々に行き渡っていたのです。これはジャポニズムと呼ばれる日本趣味に関しても全く同じだったのでした。

江戸時代の後期から明治維新にかけて浮世絵が大量にヨーロッパに渡り、これが芸術家やコレクターの目に留まり、衝撃を与えると、浮世絵というプリント・アートは中国や他のアジア諸国には見られない日本独特のユニークな木版画だということで、その斬新な表現や技法が彼らに強い印象を与えました。また、1886年パリに出てきた当初金のないゴッホが、200点以上の浮世絵を所有していた、という記録から、この頃は浮世絵は極めて安価に手に入る物だったと考えられています。日本での価格が蕎麦一杯分であったので、海外でもそれと同等か、若干高めに価格設定して売られていたのでは無いかと思われます。

それでは、何故これほどまでに浮世絵が西欧人に強い印象を与えたのでしょうか。それは当時の行き詰った西欧美術の表現様式からみればわかります。

西洋芸術の閉塞感

その頃、ヨーロッパの美術、特にフランスはパリ芸術学校が金科玉条として教え、サロンで絶対的な優勢を誇っていた新古典主義的アカデミズムに対して強い疑念が持たれ、これを美の唯一の基点とした判断に強力な異論が唱えられ、殆どの有能な美術批評家が美の多様性を主張・実践しつつありました。

特に当時のジャポニスムに関する論をぶち上げていた執筆者やコレクターの殆どは美術上ではレアリスムの動向を支持していて、当時のナポレオンⅢ世に反対する共和主義者であることがほとんどでした。名前を挙げるとすれば、初期のコレクターとして登場する文筆家達、シャンフルリ-、フィリップ・ビュルティー、ザカリー・アストリュック、テオドール・デュレ・ゾラ、また芸術家の中では、マネ、ドガ、モネ等、印象派とその周辺にいた画家です。

この頃ほとんどの芸術家達は長い伝統的な表現法から抜け出せず美術・装飾芸術に深い危機感を抱いており、斬新な表現を模索していました。印象派の画家達はこうした陰欝な芸術環境の中で、ようやく自然を、人体をありのままに輝かしく表現する手法を見出しました。彼らが日本美術、特に浮世絵に深い関心を寄せ、殆どの浮世絵を蒐集していたという事実はよく知られておりますが、これは印象派を代表する画家達が、浮世絵から強い影響を受けていたという証拠としてあるものでもあり、また本人達自身が自らそのことをかたり、美術評論家もその彼らの作品の中からそういった浮世絵を元にした物の影響を指摘しているのです。

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アシンメトリーという概念

実際にどのような影響を受けたのか、日本美術の造形的魅力を具体的に挙げると、このアシンメトリーという概念がそもそも斬新だったのです。西欧美術では伝統的であったシンメトリ-を排除した日本の構図だったのです。シェノー氏の『パリの中の日本』で、やはり日本美術の特性として有る物の中から第一に上げた物として「アシンメトリー性」を特筆すべき物しています。これは、当時のフランス工芸美術がかなりシンメトリーへと偏重しており、左右不均衡の構図により生まれた余白を上手く使いこなして、動きを予感させる形式にとらわれない作品を数多く生み出すことになっていきました。

さらにシェノー氏は、更に日本美術の非対称の概念は単なる破調や自然を模した不均等ではなく、全体として統一性を希求した、より高次な調和への志向であると述べています。印象派の画家達は、伝統的表現法から脱しようとしてたどり着いたのが補色による光と色彩の追求であり、その結果として筆使いの併置法や点描法を完成しました。が、画面の構成法や構図は未だシンメトリー性から抜け切れていなかったのです。

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印象派が取り入れたジャポニスム

特にマネやドガの中心をずらした構図についてはまさに、研究者が指摘する通りで、「それ以前のフランス絵画には見られないもので」なおかつ「ドガやマネが大量の浮世絵を収集していたこと」もわかっています。ドガが描いた「踊り子」の瞬間を捉えた美や画面を断ち切る手法や、人物と中心をずらした構図は当時の絵画としてはかなり異端であり、さらに同時に動きや変化を予感できるような魅力的な構図であったのです。

そしてゴッホに関していえば、弟のテオへと送った手紙の中で「僕の仕事は皆多少日本の絵が基礎となっている」と述べています。ゴッホは浮世絵の透明な明るい色遣いに憧れ、自分の絵に取り入れるように工夫し、花を描く時、道に咲く可憐な花でも目を向ける日本人の自然に対する細やかな美意識を想起した、と記しています。

またロートレックやゴーギャンの平面的な隈取り主義(クロワゾニズム)と呼称される輪郭線で囲み彩色する装飾的技法は、浮世絵や日本画の影響からだと指摘されます。

また印象派の代表的巨匠、ルノワールでさえも、1877年の印象派第三回展に出品した「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、「ブランコ」は色彩の扱い方に浮世絵の影響を自ら認めています。

モネは、印象派の画家達が浮世絵の自然観に基づいた色彩に変化していることを指摘し、自身も風景画では広重の自然に対する印象と図式的帰結点融合が似ていると語り、常に広重に対する賛辞を公言したといいます。モネはまた、風景を描くために広大な土地を求め庭園を造り、殆どの園丁を雇い、池には日本風の太鼓橋を作らせた。ここで晩年の大作「睡蓮」がつくられた。「睡蓮」の極端に横に長い構図は、日本の絵巻物の影響という説と屏風画の影響という説があります。 

芸術とデザイン、日本とジャポニズム!

かつて、日本の芸術は、浮世絵や琳派だけでなく、扇子や茶碗といったものまでが、様々な国に渡り、偉大な巨匠達の作品に影響を与えていきました。これを大まかにジャポニズム(日本趣味)と言いますが、今や日本のカルチャーは、そういった昔のものに限られず、日本的な要素を持つものが、必ずしもアートでないものにも用いられるようになっていっています。このサイトではそんな「今現在のネオ・ジャポニズム」と「かつてあったジャポニズム」について解説していきます。

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